砂漠の青がとける夜
【砂漠の青がとける夜 中村理聖】
ー言葉の儚さと、美しさを嚙み締めながら...
言葉の本当の意味を、考えたことはあるかい?
と、問いかけられたような気持ち。
「美味しい」「甘い」「痛い」「いただきます」「愛してる」
作中にもあるこれらの言葉を、自分は一体どんな気持ちで放っているのだろう。
あ、本のあらすじを忘れていたわ。
東京で飲食店の記事を作る編集の仕事をしていた美月が、父親のお店を継いだ姉・菜々子の誘いで京都のカフェを手伝うことになるの。
そこで度々お店に来てはコーヒーを飲んで帰る少年と出会って...とまぁこのような。
この少年、中学生・準が見ている世界。
”わかる”なんて陳腐な言葉で片づけるのは情けないような気もするけれど、ほんのちょっとばかり”わかる”気がしたの。
その人から違う物や人が見えるとか、それらから言葉が放たれているとか、
そういうことがわかるんじゃないんだけども、
相手のオーラとか、色とかって、小さいころから感じることが多いのなんの。
だからその、準が見ている世界とは違っても、なんとなく感じる部分はあったなぁ。
それと、『砂漠の青がとける夜』
結構考えて読んではいたもの、散々悩み散らかしていて。
最後の最後を読んでやっとわかった。気がする。
「砂漠」「青」「溶ける」「夜」
繋がりがありそうでなさそうな、言葉たちが一気に腑に落ちた。気がする。
んもう、自分でも何が言いたいのかわからなくなっちゃったわ~~
美月も考えていたように、
「この”何となく”な感情を、”確かな言葉”になるようにすると、
自分の言葉が穏やかに輪郭を失っていくように...」
本当に今それなの。
この今の気持ちを、そっくりそのまま言葉にできたらどんなに良いだろうか。
特に食事の時にそんなことをよく考えます。
結局いつも答えは出ず、最終奥義、ボディーランゲージを使用している私です。